日本の風俗の歴史・巫女からはじまりITの時代へ
風俗嬢の売春は最古の職業といわれており、さまざまな職業の中でも歴史の深いビジネスです。
日本の風俗の歴史では、奈良時代に巫女が神事として風俗嬢をしていたことがはじまりとされています。
海外では「奴隷が発祥」という説が聞かれる中で「巫女が発祥」というのは、どこか神秘的なイメージすら持たれますね。
旧石器時代~飛鳥時代【~708年】
旧石器時代から飛鳥時代までは、売春がサービスとして存在していた記録はないようです。
縄文時代
弥生時代
古墳時代
飛鳥時代
セックスの快楽は今も昔もおそらく変わらないと推測されるので、個別間ではぶつぶつ交換などで売春のような取引がおこなわれていた可能性はあります。
しかし、旧石器時代からすでに家族単位などのグループで遊動生活していたとされており、結婚をして家族を作ることが優先されて売春や風俗といった発想がなかったのかもしれません。
奈良時代【710~794年】
日本では、奈良時代が風俗の発祥とされています。
奈良時代に日本最古の歴史書といわれる「古事記」が作られ、その書物の中の「天の岩戸」に今でいうストリップの話が記されています。
古事記の天の岩戸
「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき」
上記を簡単に訳すと、アメノウズメが裸で踊ったという内容です。
スサノオが高天原で乱暴な行いをしたことから、アマテラスが岩戸に隠れてしまうところから話がはじまります。
アマテラスが岩戸から出てこないと高天原は真っ暗のままで困るため、八百万の神々が岩戸の前でいろんな儀式を試みるも失敗します。
そこへアメノウズメという巫女が登場して、裸になって踊りはじめます。
これをほかの神々が見て大笑いが起き、それが気になったアマテラスが岩戸から出てきて無事に光が戻ったというエピソードです。
遊行女婦(うかれめ)の存在
奈良時代には「遊行女婦(うかれめ)」という巫女が宴席で舞いを披露したり、夜は床を共にしたとされています。
今でいうところの「コンパニオン」+「デリヘル」のようなサービスで、料金は穀一升か布五尺とされ、現在の価値では約10万円。
全国に数千人はいたとされており、人気の職業だったようです。
平安時代【794~1192年】
平安時代では、遊行女婦(うかれめ)が「遊里」を作り、今までのように派遣型のサービスから店舗型のサービスに変化していったとされています。
主に遊里は神社の近くに作られることが多かったのですが、その理由はこの時点ではまだ風俗は神事という意識が強かったからです。
鎌倉時代【1192~1333年】
鎌倉時代は、武家政権による本格的な統治がはじまった時代です。
武士の宴席や陣中には遊女が同席することが多く、「平家物語」や「太平記」にも遊女の存在が記されています。
また、鎌倉幕府によって「遊君別当(ゆうくんべつとう)」という役所が設置されたのも大きな事柄で、この時代から風俗が管理されるサービスになったと考えられます。
南北朝時代【1333~1392年】
南北朝時代は、鎌倉幕府が滅亡した1333年から南北朝統一の1392年までの時代です。
この時代は室町時代の初期にあたり、風俗に関してはとくに目立った事柄はありません。
室町時代【1333~1573年】
室町時代では、遊女は「遊郭」に集まってビジネスをはじめるようになります。
ビジネスの規模が大きくなったことで徴税対象となり、「傾城局(けいせいのつぼね)」が設置されて遊女は徴収されるようになりました。
また、この時の遊郭は政府の管理課にある公婦であったとされ、のちの1590年あたりでは豊臣秀吉によって「大阪三郷」や「京都二条柳町」などに遊女町や遊里を開設する許可が与えられています。
公婦になることができない遊女は非公式に「宿場町の飯盛旅籠(めしもり はたご)」や「門前町の岡場所」などで売春をおこない、「飯盛女」や「飯売女」と呼ばれていました。
これは「料亭」や「風呂屋」などのお店として営業しながら裏では売春をしており、現代でも大阪の飛田新地のように名残を感じるお店がいろんな地域にあります。
戦国時代【1467~1573年】
戦国時代の風俗は、室町時代の流れを引き継いで公婦と非公婦にかかわらず、遊郭がビジネスとして存在しています。
戦乱の世であったことから大きな変化はなく、風俗業界の発展は安土桃山時代からとなります。
安土桃山時代【1573~1603年】
安土桃山時代は、1585年~1596年の間に豊臣秀吉によって遊女町や遊里などの許可が与えられたことが大きな事柄です。
この延長として、のちに「吉原遊郭」や「新町遊郭」など、今でも有名な遊郭あるいは遊郭街が誕生することになります。
江戸時代【1603~1868年】
江戸時代では、江戸幕府によって遊郭は特定の地域にある都市のはずれに制限する発令が出されました。
これで有名なのが「江戸の吉原」・「大阪の新町」・「京都の嶋原」で、店舗の移転を余儀なくされたお店もあります。
また、江戸時代の以前からも1つのビジネスとして横行していたとされる「女衒(ぜげん)」が表面的に禁止されたものの、実際は遊女奉公という形で身売りが許されていたのもこの時代の特徴です。
女衒(ぜげん)とは?
女衒(ぜげん)とは、主に若い年齢の女性を買い付けて遊郭などの風俗に人身売買する仲介業者のことです。
女衒がいつから存在していたのかを確認できる記録はありませんが、風俗という観点だけではなく奴隷という点から考えても古来から似たようなビジネスがあったと考えられます。
明治時代【1868~1912年】
明治時代では、すでに江戸時代でも存在した身売りが国際問題へと発展します。
「ハワイ日本人出稼人召還事件」や「マリア・ルス号事件」などから、芸娼妓解放令がだされます。
また、この時代の身売りは性産業だけではなく年季奉公の問題ともつながりが深く、明治産業の発展の裏には人身売買による人手の供給があったとされています。
年季奉公とは?
年季奉公とは、雇用者との契約で一定期間はたらく雇用制度の1種で、多くの場合は住み込みで働くものの、「給料なし」あるいは「低賃金」という圧倒的な不利な条件での雇用が多かったとされています。
日本では、江戸時代から一般的に広く採用されていた雇用制度で、跡継ぎ以外の子どもは早くから養子に出されることも珍しくありませんでした。
今では1956年の売春防止法によって人身売買は法的に根絶されたとされていますが、日本政府はILO(国際労働機関)から売春や児童ポルノの対策をつづけるように勧告をうけたこともあります。
大正時代【1912~1926年】
大正時代では、コーヒーなどを提供するカフェー(喫茶店)が全国的に普及します。
カフェーの進化系として「銀座のカフェー・タイガー」や「大阪の赤玉」など、今でいうキャバクラのようなお店が登場しますが、これは1924年の関東大震災のあとだとされています。
ちなみに遊郭については、この時代も大きく店舗数が減ることもなくしっかり存在していたとされています。
昭和時代【1926~1989年】
昭和時代では、1946年の第二次世界大戦後にGHQから公婦制度が廃止されます。
しかし、表向きはカフェーなどのお店として営業しながら、遊郭は存在していました。
1957年に売春防止法が成立して、この法律とともに遊郭(妊婦街)の歴史がおわったとされています。
また、1948年に風俗営業取締法が制定され、以後は2015年まで定期的に法改正がおこなわれており、今後も見直しが続くと思われます。
平成時代【1989年~2019年】
平成時代では、インターネットが急速に普及して、パソコンやスマホといった端末が日常的なアイテムとなります。
今までの風俗は町中の店舗におけるサービスだったのに対して、平成時代ではインターネット上においてもさまざまなアダルトサービスを楽しめるようになりました。
風俗とは少しジャンルが異なるものの、「出会い系サイト」や「ライブチャット」などはこの時代だからこそ誕生したサービスです。
令和時代【2019年~2020年】
平成時代からITが進化していき、ゲームなどにおいて人以外とアダルトを楽しむことも可能となっています。
ライブチャット業界では、アニメーションを見ながら声優とチャットをするバーチャル的な風俗まで登場しています。
今後、さらに技術が進化するとVRの延長のようなサービスとして、対面することなくセックスできる時代がくるかもしれません。
まとめ
日本の風俗の歴史は、性的なサービスだけの話ではなく、各時代における「宗教」・「奴隷」・「人身売買」・「社会情勢」・「雇用形態」など、さまざまな事柄と深い関係があります。
書籍でも著名人がまとめあげた専門的な知識を読むことができるので、図書館へ行ったときなどに目を通してみてはいかがでしょうか。



















